読者の磐座探訪 


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「佐賀市川上峡の陰陽石(金精さん)を語る」

                     東京都八王子市  島内 行夫

私の故郷、佐賀市にある川上峡の與止日女神社(よどひめじんじゃ)の陰陽石について語りたい。
川上峡は脊振山にある北山ダムから佐賀平野に流れる嘉瀬川の上流にあり、峡といってもなだらかな扇状地で、私の子供のころは夏の川遊びや遠足の場所であった。現在は堤防や堰が整備され、遊泳などは禁止のようである。 昨年、ここを数十年ぶりに訪れ、川上峡の與止日女神社(よどひめじんじゃ。一般には河上神社ともいわれる)にもお参りしたが、ここに陰陽石があることに初めて気が付いた。 池田清隆氏著の『磐座百選』を読んでイワクラという言葉を知り、そのなかで性器を象った陰陽石のことにも触れられていたので常々関心を持っていたのである。 件の陰陽石は境内に置かれ、解説札も掲げてあった。その陰陽石は「金精(こんせい)さん」と言われているようで、縦、幅及び高さ約1.3メートル、横幅が約3メートルの対になった男根と女陰を思わせる石が互いに向き合っている。(スマホ写真参照) こうして文字にするのもはばかれるし、なかには「これは猥褻物陳列罪ではないか」と怒るひともいるかも知れないが、男女神セットになったこのイワクラはなかなか迫力がある。 解説には次のようなことが書かれている。少し長いがご紹介したい。

<河上神社 金精(こんせい)さん由来記>
自然石または人工を施した男根、女陰の形をしたもので、男性、女性の象徴を神として祭ったのが、古い昔から日本の特に僻地山村に多く見られるようである。 「金精さま」は本来、性の神で、それが生産神となり所によっては邪悪の神を塞ぐ塞神としても祭られた。形から見て、庶民の縁結びの神、性病平癒祈願の神、子宝の神として信仰があった。 その昔、神功皇后三韓征駐の折、当地におとどまりなされし妹君の與止日女(よどひめ)様が子宝に恵まれないために、ひそかに館の一隅にあった男根の自然石に肌を触れて子宝を願ったところ、色あくまで白く、きめこまやかにして、玉の如き子供が授かったという。 以来金精さんとして河上神社の一隅に安置してありましたが、今度皆様の要請により一般に公開致します。            奉納 平成16年5月吉日 

この解説によると、平成16年までは河上神社の一隅、つまり人目のつかないところに置かれていたようである。ちなみに「金精さま」をウィキペディアで検索するとその解説と事例が出てくる。東日本、東北に多いと書かれているが、九州のこの神社にもあるので「金精さま」は全国的にあるのだろう。 「金精さま」の周りには見学に来た高齢者の団体がいて、おじさんおばさんたちがゲラゲラ笑い合いながら撫でたりしていた。 そういえば古事記には、天岩戸に隠れてしまった天照大神を外に出すために、天宇受売命(あまのうずめのみこと)が女陰丸出しで踊り、神々が大いに笑ったという。また古事記の核心部分は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)の男女神による「国産み」の場面であろう。その描写は、性行為そのものである。これは旧約聖書のアダムとイブが禁断の知恵の実を食べたため、羞恥心を覚え、自身の陰部をイチジクの葉で覆ったという物語となんと大きな違いであろうか。キリスト教会に陰陽石が置かれているという話も聞いたことがない。 現在私が住んでいるところに近い、東京都府中市にある大國魂神社には「暗闇祭り」が現在も大々的に催される。以前は暗闇にまぎれた「夜這い」の風習もあり「夜這い祭り」とも言われたそうだ。(現在は知らないが)。民俗学者・赤松啓介氏の『夜這いの研究』によれば、近年まで全国各地で似たような暗闇祭りが行われていたようである。 明治時代になって西欧に習い近代法が整備され、またキリスト教的なモラルや規範が日本に入る以前は、当時の庶民の性や性行為に関する考え方と行動は、現在とはかなり異なっていたであろう。今は不用意にこうした性に関する言葉を発すると、セクハラ行為として訴えられる世の中である。 とはいえ、池田清隆さんにならって、全国にあるという「金精さま」を巡るイワクラの旅に出たい衝動に駆られる今日この頃である。
                                     完




「巌社を訪ねて」

                     東京都  谷戸 歩

 一度訪れたいと思っていた伊勢神宮・巌社(磐座探訪雑記帳50)に、機会があって足を運びました。
 記事のとおり五十鈴川を渡り、住宅地を抜けると、突き当たりに雑木林の小山。階段状の小道があったので登っていくと、林の中に大きな四角い柵のようなものがありました。近づいて見ると「有害獣捕獲器」の表示が。猪か鹿が入るほどの大きさの金属製の檻です。
 これは間違ったと思い、元の道に戻って少し進んだところ、道路脇の斜面のすぐ上に雑記帳にあった大きな縦長の岩の姿が見えました。そして斜面を登ると小さな平地。同じ岩の上の部分が今度は三角形に見えます。特に参拝する場所ではない様子でしたが、ようやく辿り着いてありがたい 気持ちになり、そっとお参りしました。
 人が暮らし、獣がいて、磐座がある静かな場所。そうそう立ち入るべきではないように感じ、「ここにあった」ということを心にとどめて帰路につきました。




茨城県鹿行地方のイワクラについて

                     東京都 三鷹市 石神俊一郎

「磐座百選」を大変興味深く拝読しました。私の姓も「石神」ということで、日本全国の石の神様については常々関心をもっておりました。父の出身地の茨城県の鹿行地域に石神という地名などがあるのが気になり、私なりに調べてまとめた資料の2つを投稿します。
 左図にあるように、①の石神遺跡~②、③を経て④の神栖市石神までが不思議とほぼ一直線になっています。
①は行方市のHPによると縄文時代の環状列石ではないかという事が書いてありますが現物は未確認です。
②は玉造の玉造城跡のやや北側に石神館跡という台地上の場所があり、近くに「鴨の宮」という小さな祠があります。画像も添付してありますが、その「鴨の宮」の隣に「石神神社遺跡」という大きな石碑があり横にしめ縄を巻いたような石が置いてあります。「鴨の宮」の由緒書きにも、こちらの「石神神社遺跡」のことは全くふれていないので謎です。玉造の地名は古代に玉造部が住んでいたことに由来すると言われ、また、近くにある夜刀神社は「常陸国風土記」に登場する夜刀神の伝承と関係があるようです。その他、茨城県内で岩に関係するところでは日立市にある「大甕神社」はその伝承も含めて好きな場所です。
 さらに詳しいことがお分かりの方がいらっしゃればぜひ教えて頂きたいと思います。

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1.茨城県鹿行地方のイワクラについて
2.巌社を訪ねて
3.佐賀市川上峡の陰陽石(金精さん)を語る
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